夫婦関係の在り方と子どもが形成する対人関係

PORTRAIT

三浪でうちの塾の門を叩いた生徒がいた。

ひょんなことから私がこの生徒を担当することになった。

父と話してみると、

「三浪だし、本当は地方の某塾に入れたいと思っている。だが、本人が河合塾を続けると言って、頑として譲らない。個別指導の貴塾には、河合塾ではできないコーチの役割を担っていただき、本人を導いてほしい」

とのことだった。

同席していた母からもいろいろな話をうかがった。これはなかなか一筋縄ではいかないなぁ、という印象を持った。すぐに本人も交えて四者面談をする必要を感じ、私はこう伝えた。

「要するに家庭の教育力の問題ですよね。三浪もさせてもらいながら、親が子どもに指示を聞かせることができない」

率直にそのようにお伝えすると、父も母も大きくうなづき、

「まったく先生のおっしゃる通りです」

と話した。

河合塾から自宅に帰ってしまっていた本人を、また塾まで出向いてもらうよう連絡してもらった。父母には負担にはなってしまうが、3時間後に本人も交え、四者面談を設定した。

3時間後

夜8時半。

本人も交え、四者面談が始まった。

まずは、一浪、二浪と結果が出なかった河合塾を続けていっていいのか?を話題にした。

私は個別授業の威力を伝え、

父母も了承しているのだから、すべての科目をうちの塾で受けなさい、と伝えた。

本人は明らかに不快な表情を浮かべながらこう話した。

「メインは河合でやることは決めている。あとはサブで受けさせてくれる塾を探しているだけだ。ここの塾でサブができないのなら、他に行く。」

もうこちらに言うことはない。

私は折れた。

つまり親の言うことを聞かないのに、昨日今日会った赤の他人である私の言うことなど聞くはずもない。立ち去るだけである。

「わかった。じゃあ、そういう形でやっていこう」

ここから、一年。腫れ物に触るような感じで、常に第一にはちの塾の門を叩いた生徒がいた。

ひょんなことから私がこの生徒を担当することになった。

父と話してみると、

「三浪だし、本当は地方の某塾に入れたいと思っている。だが、本人が河合塾を続けると言って、頑として譲らない。個別指導の貴塾には、河合塾ではできないコーチの役割を担っていただき、本人を導いてほしい」

とのことだった。

同席していた母からもいろいろな話をうかがった。これはなかなか一筋縄ではいかないなぁ、という印象を持った。すぐに本人も交えて四者面談をする必要を感じ、私はこう伝えた。

「要するに家庭の教育力の問題ですよね。三浪もさせてもらいながら、親が子どもに指示を聞かせることができない」

率直にそのようにお伝えすると、父も母も大きくうなづき、

「まったく先生のおっしゃる通りです」

と話した。

河合塾から自宅に帰ってしまっていたご子息を、また塾まで出向いてもらうよう連絡してもらった。父母には負担にはなってしまうが、3時間後に本人も交え、四者面談を設定した。

3時間後

夜8時半。

本人も交え、四者面談が始まった。

まずは、一浪、二浪と結果が出なかった河合塾を続けていっていいのか?を話題にした。

私は個別授業の威力を伝え、

父母も了承しているのだから、すべての科目をうちの塾で受けなさい、と伝えた。

本人は明らかに不快な表情を浮かべながらこう話した。

「メインは河合でやることは決めている。あとはサブで受けさせてくれる塾を探しているだけだ。ここの塾でサブができないのなら、他に行く。」

もうこちらに言うことはない。

私は折れた。

つまり親の言うことを聞かないのに、昨日今日会った赤の他人である私の言うことなど聞くはずもない。立ち去るだけである。

「わかった。じゃあ、そういう形でやっていこう」

ここから、一年。

腫れ物に触るような感じで、常に第一には本人の意思を尊重し、大して私が口を出すようなこともなく、やってきた。

本人は充実した受験勉強生活を送っているようだったので、敢えて無用なストレスを与える必要も感じなかった。

ただ、一度、9月、10月の通信費が2か月続けて九万円にもなったり、洗濯物の中に濡れた水着があったり、ということがあった。

ただ、父母の意向としては

「それを正面から指摘してしまっては、本人が反発するだけなので、敢えてそこは触れないでほしい」

とのことだった。

私は率直に

「どうしてそこまでご両親が気を使わなければならないのか。この図式は歪んでいると、私は考えています」

とお伝えしたうえで、ご両親の意向に従った。

ただ、この「歪み」が

最終的には 、受験の成否にも大きく影響することになる。

彼のふるまいとして問題を感じたのは、以下のようなことがあった。

ひとつには、私に対するメールの文言がクダけすぎている。

ため口だし、用件ひとことのみ。自分の名前さえ書いていない。

模試の判定志望校を一校しか書かない。

模試の判定志望校に、名古屋の服飾専門学校を書いたり、東京女子医科大学を書いたり、している。要するにふざけているのだ。

その点は、本人には伝えさせていただいた。

そのようなやり取りをしていては、二次の面接に大いに不安要素がある、と。

そしてそれが現実のものとなった。

彼は、本番では、獨協医科、埼玉医科、聖マリアンナのそれぞれ一次合格を勝ち取ってきた。埼玉医科の二次と日本医科の一次が重なり、父としては埼玉医科の二次に行ってほしいと思っていたが、本人の意向がわからない。わからないし、もし本人が「日医の一次に行く」ということを言い出した場合、それを覆すことはできそうもない。そんな相談だった。父は、埼玉医科の二次に行った場合に備え、前乗りできる宿を埼玉医科大学の近くに取っていた。二次の面接対策の講座も、本人に内緒で取っていた。

1月30日、獨協医科の一次試験の日、本人の携帯に電話をした。この一年、本人の意思を尊重して接してきたので、本人は一応私にはなついている。教室まで折り返しの電話があった。2月2日にどちらに行くのか意向を聞いてみると

「日医の一次ではなく、埼玉医科の二次に行こうと思います」とのことだった。

「であれば、面接対策をやりましょう。教室まで来てください」

と伝えた。

本人はあれこれ理由をつけて後ろ向きの姿勢を見せたので、

「では、埼玉医科の二次の資料と想定される質問集だけ渡すから、教室まできてください」

と伝え、教室まできてもらった。

ただ、10分程度やり取りをしただけで、資料を渡し、帰っていった。

面接練習まではできなかった。

その場で、他の医学部受験予備校の二次試験対策講座をお父さんが申し込んでいるからぜひ行ってみること、そして埼玉医科大学の近くにお父さんが宿をとってくれているから、二次試験対策講座が終わったら埼玉医科大学近くに前乗りすること、を伝えた。

そして、その後しばらく音信不通となった。つまり二次試験の結果が思わしくない。伝えるべき成果が出ていないから、連絡がないのももっともだった。

結局彼の受験結果はどうなったか。

彼は後期の埼玉医科の一次も合格し。二次に進んだ。

そして二次試験の結果は「補欠」だった。

そして、待つこと数週間。

3月末になって、彼の補欠は繰り上がった。これで彼の大学受験浪人生活はピリオドを迎えることになった。

彼が「親の言うことを聞かない子」になってしまったのも、

「夫婦関係の在り方がすべて」だと私には感じられた。

父は成功している開業医だが、母がその父を頭ごなしに否定するような場面が

何度もあった。妻から夫に対してのリスペクトを、あまり感じることはなかった、というのが正直な感想である。

社会的には成功し、経済的には豊かであっても、夫婦がこのような関係であると、子どもは父に対してリスペクトの念を持たない。

それは妻か夫のどちらかが認識していればいい、というものではなく、

2人ともが意識して初めて実現できる関係構築である。

子どもをもつ親御さんにはそのように理解しておいていただきたい。

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