私の人生でも過去には
大学受験で東京大学、就職試験では朝日新聞社にこだわった時期があった。
いま考えると笑い話だが、振り返るとその執着にまみれていた時期は結構長いことに気づく。
「執着すると必ず失敗する」とは言わないが、私に関して言えば、
「執着」が実を結んだことはない。
だが、今回のテーマは「執着すると実を結ばない」ということではない。
何かに執着しても、それが結実して手に入ることもあるだろう、とは思う。
でも、そうであったとしても
執着すると疲れるからやめたほうがいい。
もっとラクに生きたほうがいい、と思うのである。
「執着」は、「我が強い」にもつながるし、
「とらわれ」、「固執」、「しがみつく」にもつながる。
なんとも軽やかでない。
プロ野球のドラフト会議で例示すると、
私の中で、執着しなかった選手と言えば、まず最初に
江夏豊とイチローが思い浮かぶ。
そして、執着した選手と言えば、
江川卓、元木大介、長野久義、が挙がる。
3人とも読売ジャイアンツへの入団にこだわり、
1度目のドラフト会議での指名は拒否し、浪人的な立場を経験している。
最終的には3人とも念願であった読売ジャイアンツへの入団を実現している。
そして、3人とも一軍の試合でそこそこ活躍している。
それに対して、江夏豊やイチローは、言うまでもなく、球史に名を残す記録を
残している。
これは標本の取り方に偏りがある、という言われ方をされるかもしれない。
プロ野球に入る人材のなかで、ほぼまったく活躍することができず、名を残さずに引退する選手が大半のなかで、こんなにごく一部の選手について議論することに意味がないと考える向きもあるだろう。
ただ、執着を持たず、我を貫くのではなく、人生の展開に身を任せ、
「縁があるところにいく」という生き方をしたほうが、もっとラクに生きられるのに、というのは、人一倍我の強い生き方をしてきた自分の人生を振り返っても、身をもって感じるのだ。
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