価値観の押し付け

PORTRAIT

「まずは親を超えなさい」という苫米地英人博士の著作がある。

一言でいえば

「親に植え付けられた洗脳から自由になりなさい」

という主旨である。

私は親として、

わが家の子どもたちにはできるだけ自分の価値観を

押し付けないように、とは考えて子どもと接しているが、

そうであっても親から子への価値観の押し付けはゼロには

なりえない。

私の幼少時代を振り返ると、

私の両親はとても価値観の押し付けが強烈だった、と

私自身は感じている。

ただ、私の両親に比べて、

私が子どもたちに対して、価値観の押し付けが

弱いと言えるかどうか。

この点に関しては、

自分の認識など甘いものだと考え、

できるだけ謙虚に考えたい。

父親に押し付けられた価値観として

まず思い出すのは年4回の墓参である。

そのころ、わが家の墓地は千葉の松戸にあった。

東京の大田区にあった私の実家から、松戸の墓地までは

どんなに早くても1時間はかかり、混雑時には2時間を超えることも

あった。

私は車酔いが激しく、その時間は苦痛以外の何物でもない。

というより、地獄であった。

わが家の自家用車は日産スカイラインであり、

普通のセダン。車内が広いわけでもなく、もちろん横になって

休むこともできない。

3月、7月、9月、12月

忘れもしない(笑)

季節ごとの年間4回。

幼少の私はこの墓参に車で連れていかれるのが

苦痛で苦痛で仕方なかった。

大学生になったころには、バイトで働いたお金を使って、

自分で電車で行ったりしたこともあったが、少なくとも

小中高時代には電車賃を自分で出せるほどの小遣いもなく、

私は苦しみの車内に身を投じるしかなかった。

小6の時なんて、自分が所属するソフトボールのチームが

トーナメントで決勝まで進んだにも関わらず、私は

ソフトボールに行くことは許されず、苦痛の車内に身を投じた。

そういう事情でレギュラー捕手を欠く私のチームはそれでも

優勝し、私は焼き肉屋で開催された祝勝会にだけ参加することになる。

優勝メンバーとして、優勝メダルもいただいた。チームメイトから多少

冷やかされながらも、私の気分が悪くなるほどいじられはしなかった。

私は決勝戦を欠場したにも関わらず、首から優勝メダルをかけてもらって

微笑んだ。

父は墓参りをとても大事にした。

今でもそうだが、先祖供養をとても大事にする。

そして、その価値観を家族に押し付けた。

そこから学び、私は自分の家族に押し付けることを

極度に避けようとする父親になった。

実家から離れて自立したあと、

このことについて、恨み節を何度も親父に投げかけたことがある。

そのときの親父の言い分としてはこうだ。

・先祖を大事にすることなんて当たり前のことだ。

・墓参りに行くなんて当然のことだ。

だから、当たり前のことを当たり前にしただけであり、俺の価値観を

押し付けたなんてことではない。

ということだった。今思い出しても、感情が多少ざわつかないわけでもない。

これ以上話しても何も生み出さない、と私は観念した(笑)

元大蔵省財務官の榊原英資の著書のなかで印象的な言葉に出会った。

「知識人という者は、常に俯瞰的に自らを見つめる視点を持つ者のことを言う」そんな主旨の言葉だった。

つまり、どんな状況であってもその場の感情に埋もれることなく、

行動、判断できる者ということである。

その言葉に出会ってから、私は常に知識人としてありたいと考えてきた。

この世界に絶対のものなどはない。

この世界に当たり前のものなど、何もない。

私はこのように考える。

いまは人を殺したら殺人罪に問われる。

戦時下、戦場では人を多く殺害した者がヒーローであった。

この例を見ても価値観は時代や取り巻く人々によって

大きく様変わりする。

だから、

「先祖供養はしっかりやらなければならない」

というのも(ある人の)考え方のひとつにすぎない。

私はそのような極端で、融通の利かない親父の下で育ち、客観的な視点を

特に意識するようになった。

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