二十代のころはあまり人生がうまくいってなかった(笑)
私は二浪で大学に入っているから
大学卒業時にすでに二十四とかになっていた。
卒業してすぐに二十五になったような。
それからかなり長いことマスコミ浪人生活に入った。
派遣社員として、カメラ量販店でカメラ販売をして
食い扶持を稼ぎながら。
早くつなぎではない職業に就きたいと思っていた。
何でもいいから正社員になりたいと思っていた時期もあった。
とにかく大手マスコミの写真部員として、
カメラマンとしての正社員になることだけが目的で生きていた。
毎年春と秋の年に2回、「人格否定」をされるから、自分に対する
自信も失い、自己評価も下がる一方だった。そんな人間だから女性に
もてることもなかったし、結構悲しい日常生活だった気がする。
いっぽうで、
カメラ販売員としては、結構びっくりするような売り方や売り上げを
上げていた。とくに既に倒産してしまったカメラのさくらやから、
ヨドバシカメラに移ってからの私は、自分で言うのもなんだが凄まじい
販売実績をつくっていた。
800円くらいの「写るんです」という名前の使い捨てカメラを買いにきた
おばあさんに、2時間近く熱い接客をして、結局7万円もするGR1という高級コンパクトカメラをお求めいただいたことも2度くらいはあった。
1日のなかでペンタックスとオリンパス、リコー、京セラと
メーカーごとの目標販売台数を大体は売ることができた。
ヨドバシカメラでは私は京セラの派遣販売員をしており、リコーの
販売員の人とは仲良くしていたので、できるだけリコーのカメラを売ろうと
していた。先ほどのGR1もリコーのカメラである。
当時のコンパクトカメラと言えば、ペンタックスとオリンパスが主流で人気、
キャノンは言うまでもなく王者で、リコーや増して京セラは弱小であまり人気は
なかった。
週末の店頭に立つ私は、
大体午前11時くらいに横浜駅の立ち食いそば「そば新」で昼飯。「てんそ!(天ぷらそば)」と叫んで注文して10分くらいで平らげる。いまの立ち食いそばはほぼほぼ座席があり、座れる立ち食いそばだと思うのだが、当時の立ち食いそばは本当に立って喰うしかなかった。それから社員のビルに戻ってマウスウォッシュをし、すぐに売り場に戻るという感じ。しめて昼休憩は15分程度。
それから夜20時近くまで続く販売戦線に集中し、売りまくったという印象。
思えばけっこう楽しく生きていた(笑)。
売り場でも一目置かれる存在で、ブイブイ言わせていた。
カメラのさくらやからヨドバシカメラに移る間の期間で、
私は自殺未遂をしている。
カメラのさくらやは、
新聞社の入社試験の面接に行くために休みを取ろうとしたら
解雇された。土日祝日にお休みを取ることが「絶対にしてはいけないこと」というような空気があった。それを私は続けざまにしたから、売り場の副責任者に嫌われた。
カメラのさくらやの時の私の派遣元はペンタックスだった。ペンタックスの主力機種ESPIO115は人気機種で、販売店的にも利益が取れる商品で、CANONのオートボーイではなくESPIO115を売ってくれという追い風だった。商品力もあったし、特に努力もせず、売ることができたから、それほど売ったことに対する満足感もなかった。
ヨドバシカメラに移るとき、
派遣元のメーカーを
弱小だが給料が高い京セラに変えたため、どうやったらデザインのダサいカメラを売れるようになるかを勉強するようになった。京セラは弱小だけに、販売ノルマもうるさかったし、ペンタックスのように、ごくたまに会議があり、本社に呼ばれる、というのではなく、毎月必ず本社で会議があり、そこで販売ロープレなどもやったり、やらされたりした。
ほどなくして私はヨドバシカメラチームのリーダーとなり、
他店舗の新人販売員に対して指導する立場になった。
金土日はお客さんもたくさん来てくれ、カメラがどんどん売れたので楽しかった。午前11時過ぎには食事を済ませ、そこから夜までずっと売り場に立ちっぱなしだったから、それだけ集中していたということだ。充実感があった。
そのときの売り場には鈴木というライバル販売員で、彼としのぎを削って売っていた。彼はペンタックスだったから、黙っていてもどんどん売れるのである。京セラやリコーのカメラはお客さんを説得・納得に導かないと買ってくれない。おまけに私はお客さんを少し放し飼い、と言ったら言葉が悪いが、しばらく自由に見ていただいてから、折を見て声をかけるタイプ。鈴木は何でもかんでもすぐに声をかけるタイプ。そして最初に声をかけたのが誰か、で、そのお客さんの担当販売員は決まるから、私も先を急いで声をかけるしかなかった。
鈴木とは、結局最後まで個人的な関係を築くことはなく、販売員としてのライバル関係に終始したが、彼のおかげで充実した時間をもらえたと思っている。
当時の私は、これだけ充実したカメラ販売生活員生活を送っていたが、そうであっても派遣社員に過ぎないことは間違いなく、私にとってカメラ販売は、カメラマンとして正社員に着くまでのつなぎの仕事に過ぎないという認識は変わらなかった。
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