「ぶらさがりマインド」では人に疎まれる(3)

PORTRAIT

このシリーズ最終回、これも私が体験した実例である。

渋谷幕張高校を卒業し、三浪目を迎えてわが塾の門をくぐった子がいる。

起立性調節障害で、高校時代に一時休学している。

わが塾での1年間で、彼の成績はすさまじく伸びた。10月のある模試では塾内1位を記録したことも。

ただ、大きな問題があった。

彼は面接が極めて苦手なのである。

医師志望理由が話せない。

医師志望理由を質問すると、固まって、10分以上話せない。

手を微妙に動かして、なんとかひねり出そうとするが、言葉が出てこない。

同席していた父によると

「この子はですねぇ、話す内容が完璧にならないと言葉にすることができないんです」ということだった。

これは多難だなぁ、と正直思った。1年間かけ、父母立ち合いの面談を毎月1~2回おこなって彼を鍛えていった。

まずは医師志望理由を文章に起こさせ、それを覚えさせた。そしてそれをしゃべらせる、という流れで、少しずつ話せるように訓練していった。

そうして1月。不安はまだぬぐいきれないが、なんとか形になってきたところでセンター試験を迎えた。

得点はちょうど800点。素晴らしくいいわけではないが、失敗ではない。

そうして私立医学部を含む本番に臨んでいった。

私立で1次に受かったのは日本医科大学(前期)と慈恵のみ。昭和や東京医科も通らなかった。そして本命、国立千葉大学の2次に臨んでいく。

千葉大学の2次で彼は再面接になった。つまりひっかかる受験生を、違う面談官でも見てみようということで、例外的に2度面接になる場合がある。

ただ、再面接になったからといって、必ずしも悲観的になる必要はない。

再面接になりながらも合格する子も少なくはない。

私は彼と1年間つきあってきているから、彼が悪い奴ではないのは、わかっている。

ただ、表現力、コミュニケーション力がうまくない。

素朴な人柄ではあるが、ちょっと挙動不審なところがある。

そんな彼を10分か20分の面談で見て、

ちょっと心配だから、リスクを冒してまで取るのはやめよう、と考えたとしても不思議はない。

果たして千葉大学は不合格だった。

日医前期も慈恵も不合格。

日医は後期も1次を通過したが、2次で不合格。

どこも合格を持たないまま、最後の受験、国立の後期、岐阜大学医学部の試験を残すのみとなる。

3月10日。

最後の面接指導をした。

毅然と、開き直って面接に臨めるマインドを作るワークをした。

もう1年鍛えなおし、四浪で医学部に挑戦するメリットを25個挙げさせた。

「最後のチャンスだ。何とか受かってこい」

なんていう指導は、私は決してしない。

「四浪しよう。もう1年間鍛えなおそう」

という私の言葉に、

彼は迷いなく、

「わかりました」

と答えました。

そして2日後の岐阜大学の入試に旅立っていきました。

その結果、岐阜大学医学部後期に合格。

たしか倍率は26倍とか。すさまじい倍率でした。

野球でいえば、

「なんとかホームランを打ちたい」

と力が入って、ホームランを打った人はいない、と私は思います。

ホームランを打ちたい、と思いながらも、無心になり、

ニュートラルの境地をつくって、「いまここ」に集中することができれば、

最高のパフォーマンスをすることができるのではないか、と。

わたしはそう考えます。

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